先日、尾形米穀店でお祓いを行いました。
尾形米穀店の店先には、樹齢100年を超える松の樹があり、この樹↓↓↓を切るためのお祓いです。
樹を切る理由は、樹高が伸びて電線に絡みそうになったり、冬には樹に積もった雪が、歩道を歩いている人に落雪しかけたこともあり、何かが起きてからでは遅いので、安全のために切ることになりました。
それでも樹齢100年を超える、尾形米穀店の歴史と共に育ってきた松の樹です。何もせずに切り倒すのは流石に気がひけるので、切る前にしっかりとお祓いを行ったという訳です。
●なぜ、お祓いで「お米」をお供えするのか
お祓いの際に、宮司さんから準備してくださいと言われたのは以下の品々。
- お米
- お酒
- お塩
- 野菜
- 乾物(するめ・昆布等)
- 果物
ここでふっと素朴な疑問が…
なぜ、お米が神様へのお供え物として使われるのでしょうか?
●昔からずっと続いてきた、お祓いとお米の関係
お祓いの代表的な例として、建物を建てる時などに行う地鎮祭があります。
地鎮祭は古くから行われてきた儀式で、日本最古の歴史書『日本書紀』にも記録されているそうです。
地鎮祭には昔から今も続く大事な風習として、二つの大きな意味があります。
一つ目は、建物を建てることになった土地に住んでいる氏神様を祝い鎮め、土地を利用させてもらう許可を得ることです。
二つ目は、これからの工事の安全と家の繁栄を祈願することです。
そして、この地鎮祭でも、お供え物の中心に据えるのはやっぱりお米なんです。
●お祓いに「お米」が使われている理由
お祓いにお米が使われている理由。
それは、古代からお米や稲が、神様が作った神聖な作物として扱われてきたからです。
お米や稲には神様が宿り、「神様が込め(米)られたもの」と考えられてきました。
それはわたしたちのおじいちゃんおばあちゃん、そのさらにご先祖様から受け継がれてきたもので、さらにそれを紐解いていけば、まさに神話の時代に遡ります。
●天孫降臨の神話にも描かれる、”お米は神様からの贈りもの”
お米と日本人の関係は、天孫降臨(てんそんこうりん)の神話から始まっています。
日本は昔、「豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれていました。水に恵まれ、稲が立派に稔る国という意味です。
日本の神様である天照大御神(アマテラスオオミカミ)から、稲作を大切にして継承していけば、いつまでもこの国は豊かな稲穂が実る国であり続ける…とされてきました。
そして、天照大御神の孫の瓊々杵命(ニニギノミコト)が日本の地上に降りる際に、「豊葦原水穂国の民が飢えることが無いように、これを育てよ」として渡されたのが「稲」だったのです。つまり、日本は「稲」という作物があったからこそ、発展してきたとも言えます。
だから、日本の八百万の神々はみんなお米が大好きで、大切にしています。その神様にお米を捧げことは、感謝の証なんですね。
●今も続くお米の儀式
実は今も、お米に感謝を捧げる儀式が続いています。ニニギノミコトの子孫である天皇陛下が、その祭祀を受け継ぎ守っています。
2月には豊作を祈る祈年祭、そして天皇陛下が自ら長靴を履き神田で田植えを行い、秋には鎌を手に直接実った稲を刈り取り、新米を天皇陛下自らが神々に奉られ御自身も召しあがりになる新嘗祭 (にいなめさい)が執り行われます。これも、日本書紀では天照大御神が自ら神田を営み、機を織られ、新嘗の祭りを行ったとあることに由来するものです。
世界には君主制の国が少なくとも20カ国以上あるようですが、このように国家元首が直接田植えをして稲刈りされるのは、日本の天皇陛下以外には聞きません。
それだけお米が大切な作物だと言うことが、分かりますね。
だから地鎮祭などのお祓いでも、土地の神様に対してこの大事なお米が供えられるのです。
●お酒やお米と一緒にお供えされる理由
お祓いではお米とともに、お酒も一緒にお供えされる機会が多いです。
お酒であれば奉献酒といって、神社の敷地に大きな日本酒の樽があったり、ご神前にも一升瓶が供えられているのを見たことありませんか?
「難を避けます(酒・枡)」なんて語呂合わせも面白いです。
なぜ、お酒をお供えするのかを、この度、お祓いをお願いした鳥海月山両所宮の宮司・中野さんにお聞きした所、
[speech_bubble type=”ln” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”名前”]お酒は、天照大御神様から頂いたお米から醸し出されてできる物なので、お米と一緒に、お米の隣にお供えするんです。[/speech_bubble]
と、教えて頂きました。
「お酒はお米を醸しだしたもの」
という表現は、言われてみれば確かにそうなのですが、何だかとても新鮮な響きに感じて、「なるほど!」と思ってしまいました。
●鏡餅は、古代の丸形の鏡をお米で模したもの
お祓いではあまり使うことはないようですが、お正月には鏡餅をお供えする風習があります。
お正月は穀物の神である歳神(としがみ)様を迎える行事で、各家庭でも稲ワラから作ったしめ飾りや米俵をかたどったお正月飾り、そして鏡餅がお供えされます。
鏡餅の由来は、古代の丸形の鏡をお米で現したものと言われています。
鏡は天照大御神から伝わった三種の神器の一つであり、伊勢神宮をはじめ、多くの神社でご神体とされている物でもあるので、ご神体の鏡の代わりに、鏡を模したお餅をお供えしたわけですね。
そして、お餅もお酒と同じく、やはりお米から作られた物…なので、お供え物の中心に据えられることが多いようです。
なんだか、由来を探ると色んな所でお米と神話が繋がってきて、なんだか楽しくなってきますね(笑)
●日本人の優しさのルーツが、お米にある
このような意味のほかにも、お米には日本人の優しさや助け合いの精神も込められています。
お米をつくるとき、今は農家さんが機械を使って田植えも収穫もしますが、昔はそうではありませんでした。
日本では梅雨の時期に雨が多く、夏も気温が高くなるなど気候が稲作に適していたおかげで、稲作が普及しました。家族単位で小さくつくっていたお米が、高い収穫量を求めるために多くの人たちが協力し合い、横のつながりをもってクニに発展し、やがて日本として成り立ってきたという歴史があります。
さらにお米は長期間の保存もできるので備蓄が利きます。収穫が少なくても食べていけるようになり、飢えへの心配がなくなりました。この心配が解消されたのはとても大きく、安心して生活できるようになれたのも、お米の力なのですね。
優しい日本人がみんなで助け合って生活する習慣を持てているのも、お米のちからです。
何よりお米は日本人の味の好みにもよく合います。
みずみずしい新米、熟成の古米、どちらも美味しいお米です。こうしたお米をお腹いっぱい食べられる喜びを、お供えすることで表します。
こうしてお米の歴史を紐解いていくと、日本人とお米(稲)には、歴史の面でも文化の面でも、切っても切れない深いつながりがあることがわかります。
●お祓いをしたことで、樹に感謝をする時間が取れました
こうして、尾形家の松の樹のお祓いを行い、先月4月19日に伐採を行いました。
お祓いを行ったことで、松の樹や土地に感謝する時間を取ることができ、名残惜しさはあったものの、心置きなく樹を伐採することができました。
このご時世、「時間とお金を費やして儀式を行うことに意味はあるのか?」という考えも、もしかしたらあるかもしれません。でも、個人的にはやっぱりお祓いをしっかりと行ってよかったと思っています。
お祓いをしていなかったら、松の樹への感謝もせずに切り倒していたかもしれませんし、日本人的な考えですが、もし何か事故が起きた時に、「バチが当たったんだ…」と、お祓いをしなかった事を後悔するかもしれません。
規模は全く違いますが、先日の天皇陛下の退位・即位の一連の儀式を拝見していても、儀式なしで皇位継承が行なわれたら、平成の時代への感謝も、令和の時代への期待もあれほど高まらなかったと思います^^;
お祓いなどの儀式をしっかりと行うことで、これまでの歴史に区切りをつけたり、新しい物事を始めるきっかけになったりするなと実感し、儀式やお祓いの目に見えない部分の大切さを、改めて知った気がします。
尾形米穀店でも、明治・大正・昭和・平成を生きた樹に感謝をしながら別れを告げ、令和の新しい時代を担っていけるように頑張っていきたいと思います。
p.s
伐採した松の樹は、尾形家の薪としてありがたく頂きました^^
まだ数年は乾燥が必要ですが、使うときは感謝をしながら使いたいと思います。